雑感

情熱の参代目若旦那 鴇田英将です!!

初めてこのブログにお越しの方はこちらをご覧ください
https://www.kameyamaonsen.jp/blog/entry-186.html
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事業承継
いま国を推してこの大きな問題に取り組んでいます。
その証拠にちょっと調べれば国が施策している事業承継に関する法律改正や税制改正、補助金がたくさん出てきます。
団体世代がこぞって引退を迎える、もしくは後期高齢者に突入し社長業を退くに当たって、起こっている大きな問題です。後継者不在による事業廃業のリスクに直面しているわけです。

多くの中小企業がこの問題をクリアできずに、事業廃業が進んでいけば当然国内のGDPは著しく下がっていきます。。。 どうしてこんな問題になってしまったのか・・・。

改めて亀山温泉ホテルも同じ問題があったのかもしれません。
僕は長男で、自然と大した疑問も持たずに 会社を継ぐものだって思ってきました。
もし僕が継ぐ気がなかったとしたら、4個の下の妹が継ぐのか、もしくは10個下の弟が継ぐのかという選択肢はあったかもしれない。僕が継ぐといったことで2人の人生は自分で突き進むことになったのかもしれない。

そんなのはそうなってみないとわからないものだし、振り返ってみたらそうなるべく歩んできた気もする。。。

じゃぁ何で僕がこの会社を継ぐ気になったのか!?
事業自体が大きくうまくいっているわけでもないし、お金持ちになれるわけでもない。
接客業は好きだけど、もっと個人の力が試せるような自由な職業に興味があったのも事実。
もし家業が旅館でなければ、旅館業に自分の身を置いていたのかはいささか疑問でもあります。

じゃぁ何で・・・?

それは



其の1
この亀山のふるさとが大好きなんだろうなって思う。
その故郷に土台を据える地域貢献企業であり、亀山の観光の根幹である旅館業であるから



其の2
接客業が好きで人が大好きだからは基本だと思うな。
いくら地域が大好きでも、この仕事にやりがいが感じなければ人と接することが嫌いだったらやりたくないと思う。



そして一番の理由は、この祖父と父を尊敬し、その期待に応えたいって気持ちが根底にあるからなのかもしれないな。
亀山温泉ホテルは祖父が創業しました。祖父は地元の方も大変人望があり、面倒見の良い祖父はそれはそれは地域に大きく貢献をしたとのことで、平成17年に没した際には旭日双光章という叙勲を頂き、多くの方が『立派な方だった。お世話になった』と口をそろえて言います。
そんな祖父を父に持つ僕の父はそれはそれは大きなプレッシャーだったと思う。

父から継げと言われなかったのにも拘らず、継ごうと思うと高校卒業の時に口にした想いは
やっぱり そんな父や祖父を尊敬し、カッコいいって思っていたから自然と思ったのかもしれない。

以前テレビでこんなことを言っていた。


自分が昔プロ野球選手を目指していて叶わなかった夢を子供に押し付けて、小さいころから英才教育をしていた実力を持った子供がある日突然野球をやめてしまう。親は子供に押し付けちゃいけない、子供は親の為にやっている、つまりはやらされていることに心が病んでいく・・・。もし子供に野球をさせたかったら、自分が野球を楽しそうにやって、その近くにグローブとバットとボールを置いておけば勝手にやり始めると

旅館経営というものを、企業経営というものを、自然にその生活環境の中において、働く姿を見せる。
その魅せる姿はつらい、きつい、やめたいなんてマイナスな姿じゃなくて、仕事を楽しんでいるカッコいい姿を。

時にきついことがあって愚痴を言ってしまっても、さぁ明日からお客様のために頑張ろうって立ち上がるその姿を見せることじゃないかな。

僕は育っていく環境の中で父と母が経営について苦しそうに話している姿は全く知らない。
数字的なものを見ればかなりきつい経営状態だったのは今ならわかる。

一緒に働くようになったこの10年間は、それはそれはきつい状態がよく分かり、母の苦労が身に沁みて苦しかった。父はそれを性格なのか見栄なのかあまり見せなかったけれど、会社は火の車だった。

本当に僕が戻ってくるのが3年遅かったら・・・会社無かったのかもしれないと本気で思う。

僕が思う 親の会社を継ぐことを考え悩んでいる方へのアドバイスがあるとすれば

その会社を継ぐという選択肢は
・継がなければならないのか(MUST)
・継ぎたいのか(WANT)

会社を仕事をこの二つの観点から考えてみてください。
どうしても自分が継がないといけない場合、絶対に継がなければならないという使命感、そして言葉は悪いけど自己犠牲感が出てしまうと思います。

その会社を継いで、そして継ぎたいと思える会社に自分で創りあげていくのも楽しいものです。
その楽しみ、やりがい、モチベーションは自分で養っていけるものです。

経営者はつらいばかりではありません。楽しい事もいっぱいあります。
何より、サラリーマンから経営者になれる自分の環境に感謝をするのが大切かなって思う。

自分の人生だから、自分の好きなように生きればいい。
その好きなようにの 好きの中に 親の会社を継ぐ 自分の力を試す というエッセンスを含ませればいい。

全ては考え方ひとつで変わるのだから。

あなたは 親の会社を継ぎたいですか
あなたは 親の会社を継がなければならないのですか

今一度自分の心にしっかり聴いてみてくださいね

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先日6月8日、参代目の弟(10歳下)が品川プリンスホテルで結婚式を挙げました。



弟が生まれた時、僕は小学校4年生、9歳の時でした。
だからよく覚えています。小さな小さな弟を妹(4こ下)と一緒に沢山可愛がりました。



素直で優しく、ちょっと頼りない弟だった。
でもそんな弟は ちょうど10年前の僕の結婚式でこう宣言した。

「兄貴を超します」


10年前当時19歳だった弟


あれから10年がたち、自分と同じ年齢での結婚も、意識したのかどうなのか(笑)
でもそうやってずっと兄である自分の背中を追ってきてもらえていることに本当に嬉しく頼もしい弟だなって思います。
大学も自分と同じ成蹊大学に進み、当時高校三年生まで部活をしていた弟は
「兄貴は部活とかやってなかったけど、俺は部活をやりながら同じ大学に入ったのだから俺の勝ちだと」

若さという武器、追いかける立場は、いつでも勝てるって思っている。
弟は自分なんかよりよっぽど可能性に溢れ、そしてどんどん成長していける。

そして自分はそんな弟を10個先に人生を進んだ先輩として見守り続けることが出来る。

最後の新郎のスピーチで涙する弟を見て
10年前に号泣した自分を思い出しました。

弟よ、本当におめでとう。
ゆっくり飲みかたろうな。


4月27日から5月6日
日本が誰も経験したことのないゴールデンウィーク10連休
もちろん僕も亀山温泉ホテルも、誰もかれも手探りで迎える10連休営業でした。

不安はいっぱい、
仕入れは大丈夫か?
みんな乗り切れるか?
施設の不備や故障が出たらどうする?
はたして満室になるのか?

そして料理長の交代がゴールデンウィーク前であることでのお料理体制と現場の困惑。

色んなリスクと不安を抱えて迎えたゴールデンウィークでした。

どうも参代目です。

2019年5月1日より令和時代に変わりました。
それを受けて思ったことがこちら




亀山温泉ホテルにとって
昭和は創業における 初代である祖父の時代であって
平成は引き継いだ 2代目である父(会長)の時代を経て
令和は発展飛躍していく 参代目である自分の時代なんだってこと です

父が事業承継をして代表になったのが平成元年3月27日
僕が事業承継して代表となったのが平成30年7月1日

30年の時が経ち亀山温泉ホテルが残り、そして令和に引き継がれた。
この事実に目を向けて、そして4代目である子供達(継ぐという意思決定をした際には)の新時代への
橋渡しになっていたいなって思う。


Youtubeに夢中になる左4代目(8歳)と右4.5代目(6歳)


今月5月で 参代目体制が事業承継して1年が終わります。
様々な挑戦と変化をさせました1年が終わります。
結果は出たもの、継続中のもの、大いなる学びに終わったもの、まだまだできていないことたくさんあります。
退社したスタッフもおります、新しく仲間になったスタッフもいます。

選択と意思決定の日々、大いなる重圧と責任感、そして達成感とやりがい
いろんな想いを形にしていく毎日が365日経とうとしています。

また振りかえりのブログは書こうと思いますが、何とかなったぁ―色々と
そんな思いです。

令和時代に突入した令和元年から2年にかけて 亀山温泉ホテルグループ
令和チャレンジ10を考えています。

またそれも追って発表します。

それでは本日も笑顔と元気で頑張りましょう。






社長の仕事ってなんだろうって日々頭の中を駆け巡っている想いです。
自分の中にある 出来る社長の理想像 とは
『何でもできる社長が、何にもしないこと』というイメージがあります。
つまり仲間がそれぞれ自分で考え持ち味本領を発揮して、全てをカバーし補いあう組織。
僕も目指します!!

改めまして若旦那改め 参代目 です


リスタートオープンから2週間が経過しましたが、やっとこれを手に入れてきました



これは会社の意思決定をする際にとってもとっても大事な
法人ハンコセット
・ゴム印
・角印
・代表印

事業承継においてはそれなりにすったもんだがありましたが、実は7月1日をもちまして
有限会社亀山温泉ホテル 代表取締役 に就任しております(^_^)

そして就任したからこそ大切大切な代表印を作らさせて頂きました



知り合ってからずっとこのハンコはここでつくるって決めていました。
それがいつも大変お世話になっている

君津市杢師にお店を構える 一心堂さん



社長の大切な仕事のひとつ それが意思決定
意思決定に伴う契約は 代表印が ビシッと押されるわけで
それこそ この法人格を持った亀山温泉ホテルの代表権を持った責任者であるという自覚に繋がります。
つまりは 決裁権を持つという事は、全てに責任があるということ。

6月1日より事業承継をしてまだ1か月半ですが、それに伴う工事や契約などで
もうすでに20回以上代表印を押しています。

これが続いていくのでしょう。

自分が事業から引退するその日までいったいどれだけの代表印を押すことになるのだろう。
そんな思いで、初めてハンコを受け取ってから、代表印登録の為の一回目の印を押しました。

なんかズドント響く思いがありました。

気持ちを入れ直して改めて頑張ってまいります!!



この度木更津商工会議所主催の第8回ビジネスマッチング交流会において
事業承継についての基調講演を50分間させて頂きました



自分が想像していた以上に会場が大きく参加者も多かったので、思いのほかビビッていたのはここだけの話ですが、自分がやりたいっておもう、講演家への道の一歩目だという強い思いで臨みました。



正直な感想としては、もっとできる、もっとしっかり会場の参加者に伝えらえたって自責の念です。
完全に準備不足であることと、そして自分の言葉でしっかり会場の雰囲気を感じながら伝えることが出来たなって思います。

尊敬するメンター、師匠 鴨頭先生の教え
すべてを活かすことが出来ませんでした。

もっともっと鍛錬が必要です。


半年間通った話し方の学校プロフェッショナルコース


それでも講演会が終わった後に多くの方から
『良かったよ』と声を頂きました。

でも本当にこの講演が参加した方に価値あるものであるかどうかは
行動を起こす 気持ちが動く
結果がともなってこそです。

僕がこの講演でみんなに伝えたかったことは

今自分が置かれている環境を、全て自分事でとらえてやりたいという気持ちで取り組む


ということです


次回はもっと素晴らしい講演が出来る
絶対できる、この経験を決して無駄にしてたまるものかっ!!

昨日であった全ての皆様に心から感謝いたします。