色々なことが動き出し、変化を求められ、変化を求めないモノとのぶつかりはどこにでもある事。
こんな言葉があります
温故知新
前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意から。
また
守破離
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
今自分のまわりにもいろんな変化が訪れています。
一つの時代を形成した、創りあげてきた世代から、次世代への引き継ぎ若返り
亀山温泉ホテルも、立ち上げた創業者の祖父から父へ代表権が映り、いずれは自分へと引き継がれる。
その中でいつでも起こることが 現世代と次世代 の考え方やり方の違いによる衝突
次世代はどうしても自分たちの感性や考えに従って新しい事への挑戦をしようとする
現世代は今までの自分たちのやり方をそのままに続けようとする。
次世代は今変えていかないと時代に取り残される、負けるかもしれないという危惧があるから変化を求める
現世代は今のやり方で特に問題ないならそのままでいいと考える。変えるなら自分たちの代になって変えていけばいいと考える。
ここに衝突が起き、時として次世代の考えは押さえつけられ、現世代は追いやられる。
どちらが正しいと間違っているとか正直わからないけど
お互いの考え方が平行線である以上良い組織には絶対ならない。
変化は恐れてはいけない。
こんな言葉がある
「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」
ダーウィンの進化論からの引用だ
否応なしに時代はどんどん変わっていく。
その変化のスピードは過去に類を見ないほどに変化をしていく。
だからこそ次世代の考えが正しいとは言わないし、言えないけれど
それでも確実に変化していく時代に生きていくのは今後の次世代であることはまちがない。
だからこそ、双方に否定をしないこと
協調しあうことが出来ればそんなに無敵なことはないでしょう。
古きを知りて、新しきに踏み出す
でもそれは時として、その古き良き手は、古き時代にとって良き手であったこと
その本質を見失わないこと
なぜそのやり方方法がその時代に合っていたか、やり方ではなくあり方をしっかり見定めることが出来れば
新しい時代の1手は必ず、的を得たものになるに違いない。
おじいちゃんと手をつなぐ孫たち 僕はその橋わたしだ
これから時代が進み自分がその時代のど真ん中世代になった時
そして子供たちが次世代の扉の前に立った時、僕はその本質を見失わないようにしよう。
次世代にどんどん任せて、時にどんどん失敗をしてもらおう
その失敗から沢山の事を学び、未来に繋げていってもらいたい。
恐れることはない、だって責任は僕ら世代がとればいいのだから。
Here We Go